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船坂 弘が渋谷で大盛堂書店を開いた経緯は、彼の壮絶な戦争体験と、戦後の日本の発展に対する強い思いに深く根ざしています。
ゴールデンカムイの主人公、杉本 佐一のモデルになった船坂 弘
渋谷で大盛堂書店を開いた人物は、元日本陸軍軍人の舩坂弘です。一方で、漫画『ゴールデンカムイ』の主人公・杉元佐一のモデルの一人もこの舩坂弘であるとされています。
舩坂弘は「不死身の分隊長」と呼ばれた伝説的な軍人で、驚異的な治癒能力や戦闘能力を持ち、太平洋戦争で数々の壮絶なエピソードを残しました。これらの特徴が『ゴールデンカムイ』の杉元佐一に反映されていると考えられています。
したがって、大盛堂書店を開いた舩坂弘と杉元佐一には直接的な関連があり、舩坂弘が杉元佐一のモデルの一人であることは間違いありません。
戦争体験と捕虜生活
船坂は日本陸軍の軍人として第二次世界大戦に従軍し、太平洋戦争の激戦地であるパラオ諸島のアンガウル島で戦いました。彼は「不死身の分隊長」や「日本のランボー」と呼ばれるほどの勇敢さを持ち、何度も死にかけながらも生き延びました。
戦争末期、船坂は捕虜となり、グアム、ハワイ、サンフランシスコ、テキサスなどアメリカ各地の収容所を転々としました。この捕虜生活中、彼はアメリカの先進性を目の当たりにし、日本との知識や技術の差を痛感しました。この経験が、後の彼の人生に大きな影響を与えることになります。
戦後の決意
戦後、日本に帰国した船坂は、自身の戦争体験から得た強烈な印象をもとに、日本の将来について深く考えるようになりました。彼は、日本が敗戦した原因はアメリカとの知識の差にあったと考え、この差を埋めることが日本の復興と発展に不可欠だと確信しました。
船坂は、自分の目で見てきたアメリカのあらゆる先進性を日本人に伝え、学んでもらうことが、日本の産業、文化、教育を豊かにする道だと考えました。そして、この思いを実現する手段として、書店経営を思い立ちました。
大盛堂書店の創業
1912年、船坂は渋谷駅前にある養父の書店の地所に、わずか1坪の小さな店を開きました。これが大盛堂書店の始まりでした。彼は、自分を「帰ってきた戦死者」と位置づけ、余生を書店経営を通じて社会に捧げたいという強い思いを持っていました。
船坂の目標は明確でした。「とにかくアメリカの先進性を知っていただきたい」という思いを胸に、日本人にアメリカの知識や文化を広めることを使命としたのです。
日本初の「本のデパート」
船坂の小さな書店は、やがて日本で初めての試みとなる「本のデパート」へと発展していきました。「ビルまるごと一棟がひとつの書店」という、当時としては非常に珍しい店構えを実現したのです。
この革新的なアイデアは、船坂がアメリカで見た先進的な商業施設からインスピレーションを得たものだと考えられます。彼は、単に本を売るだけでなく、知識と文化の発信拠点としての書店を目指したのでしょう。
社会貢献への取り組み
船坂の活動は書店経営にとどまりませんでした。彼は自身も13冊の本を出版し、その印税をすべて日本赤十字社に寄付しました。また、戦争で亡くなった戦友たちのために、アンガウル島やペリリュー、コロール、グアムなどに慰霊碑を建立する活動も行いました。
これらの活動は、船坂が単なる商売人ではなく、社会貢献と平和への強い思いを持った人物であったことを示しています。
大盛堂書店の発展
大盛堂書店は、船坂の理念のもとで成長を続けました。現在の社長である舩坂良雄氏は、創業の経緯について次のように語っています。
「創業以前にうちの両祖母が、戸板商売というものをやっていました。大八車をひいて、神保町まで本を買いに行って。そして、渋谷で板の上に本を並べて売っていた。運よくこの土地が買えたといいます。このセンター街ビルを建てたのは2代目である私の父です」
この言葉からも、大盛堂書店が家族の努力と船坂の理念によって支えられ、発展してきたことがわかります。
時代の変化への適応
2005年、大盛堂書店は時代の変化に合わせて、ファッション雑誌を中心に扱う書店にリニューアルされました。これは、当時の渋谷センター街がギャルやギャル男の文化の中心地となっていたことに対応したものでした。
この変更により、大盛堂書店の売り上げは大きく伸び、成功を収めました。これは、船坂が始めた「時代のニーズに応える書店」という理念が、世代を超えて受け継がれていることを示しています。
まとめ
船坂が渋谷で大盛堂書店を開いた経緯は、彼の壮絶な戦争体験と、戦後の日本の発展に対する強い思いに深く根ざしています。アメリカの先進性を日本に伝えたいという使命感から始まった小さな書店は、やがて日本初の「本のデパート」へと成長し、時代の変化に適応しながら100年以上にわたって渋谷の街に存在し続けています。
船坂の人生と大盛堂書店の歴史は、単なる商業的成功の物語ではありません。それは、戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを理解した一人の人間が、知識と文化の力を信じ、社会に貢献しようとした壮大な挑戦の記録なのです。今も渋谷のスクランブル交差点前に立つ大盛堂書店は、船坂弘の理念と日本の戦後復興の象徴として、私たちに多くのことを語りかけています。
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